三木成夫『海・呼吸・古代形象』を読む
昨年,三木成夫を知り,「胎児の世界」を皮切りに,手に入る著作をあさって夢中で読み進めた。あまり関心なかった解剖の世界が,それこそ書き表された世界の骨格部分に位置して,そこからあちこちに展開していく思考の世界に,とても驚嘆した。乾いた砂が水を吸い込むように,三木成夫の世界がぼくの内面に入り込み,というより,一気になだれ込んできた感じだ。
その後,感動や驚異を何とか言葉にしたいと何度か机に向かったが,果たせないできた。今回こんな形で表現の場を持つことになったのでこれを契機に,読むというか,書くというか,とりあえず格闘してみようと思い立った。
「海―母性の進化―生物学からみた一つの序章」
最初に「ヒトの卵」という見出しの付いた文章がおかれている。それは子宮に貼り付いたまりものようなたま,すなわち人間の胎児を呼んだものである。
「ヒトの卵」という言い方にはなじみがなく,しかし言われてみればなるほど他の生き物との比較から通常卵と呼んでいるものの一種の変態であることが納得される。
へその緒,絨毛膜,子宮内膜のつながりは,言うまでもなく血や栄養が母から子へもたらされるものだが,大地と毛根,植物の茎を連想させるものと感じた。
魚などの卵はなんとなく軽く思われがちだが,基本的には母と子との関係としては他の動物および人間と同じであり,逆向きには人間の母と子のより密着した間柄がこの文を読んで想像された。
次に「母親と卵の中の子」という文章で,卵と母体の間柄について動物進化のあとがたどられている。
「たとえば夕食のサンマ この魚はまだ発生も始まらぬ一個の卵細胞の時代に,母親 から卵膜という薄衣を着せられ,黄味という栄養弁当をわずかに持たされたまま」 (下線は引用者)
産み落とされ,海を母としてその懐に抱かれて育っていくとされる。魚類のあの無数に産み落とされる卵を思い浮かべるとともに,「黄味という栄養弁当」以下の表現が,とてもよくわかる表現だと思う。
中生代から現れた爬虫類や鳥類では,卵は海ではなく陸地に産み落とされ,大海原のふところから「母親のふところ」へ抱かれるようになってくる。ここで母は大海原の役割をも担っていると感じられる。
哺乳動物では,卵と母親が直接血でつながるようになる。人間では,動物の進化とともに生えひろがった絨毛が卵の全面におよび,母体との切っても切れない関係が成立する。
こうして動物の進化を追って魚類から両生類,爬虫類,鳥類,哺乳類と,母と子(卵)の関係を見てくると,その関係の深化がよくわかると思えた。
最後に「月経の意味するもの」という小題の文章がおかれている。
ここまでの文章は,
「すなわち,卵の中の子と母親とは,たがいにきわめて緩やかな足どりではあるが,し だいにあいより,ついには切り離すことのできない強いきずなで結ばれることになる。 つまり人間では,卵が卵管の壁に穴をうがってそこへもぐり込み,母体の一部のように なってしまうのである。」
とまとめられ,そこから
「卵管のこの部分が霊長類では特によく発達して子宮となっていることは周知の事実で あるが,人間の子宮が,歴史の流れの中で現在あるぎりぎりの状態にまで押しやられて いることを知る人は意外に少ないのではなかろうか。」
と,問題提起されている。生理,月経というものを当然のものと考えていた,ぼくたち
(?)は,はじめ何を言っているのかわからなかった。
三木さんによれば,動物の排卵や精子の形成は規則正しく歩調を合わせており,雌雄は時を同じくして発情し,つまり人間の子宮のように受精卵が到着せずに子宮内膜の大きな出血現象をもたらすことはありえないことだとされる。そして,
「いま,このような目であらためて人間の月経現象を眺めた場合,そこには生物史的な ひとつののっぴきならない悲劇が内蔵されているのをみる。」
と続けられている。
このことは,ぼくにはよく分からない。三木さんは,人間の理性が,脳が,人間を自然から離反させ,動物的な自然な発情,受胎,妊娠,出産といった規則的な周期から逸れていった結果とこの月経現象を考えているかのようだ。仮にそうだとして,身体生理的にこの事実はどんな影響を女性に,そして男性にもたらすのだろうか。
言われてみれば確かに人間の女性の月経現象は,なにか「自然ではない」印象がある。なぜ人間だけが,人間の女性だけがこのような非合理的な身体生理に甘んじなければならないのか。素朴に考えてみれば,この面だけは自然や身体の合理性から突出して感じられる。現代の我々にとって,月々に訪れる必然は全くないと考えられるのだ。進化というものを信じる限り,長い年月の過程でもっと現実的な形態に形を変えていって良さそうなものだと思う。
このことはともかく,この後,哺乳動物は外界に生まれ落ちてからも生前の「へその緒」のつながりが生後の「乳房とくちびる」となって,先の魚類,爬虫類,鳥類とは異なった母と子の関係にあることが述べられる。乳房の象徴である「‥」を「女」に加えた「母」の文字。「mamma」(乳房)の発音に由来した「mama」の表音文字から,母体すなわち「乳房」のことであろうことが語られている。最後に,
「このようにして形成された母と子の間は,『自然と生命の聯関』のみごとな象徴とし て眺めることができるであろう。」
と結ばれている。
母性の進化とは,人間を中心に考えてのそれではない。動物史の進化,つまり魚類,両生類,爬虫類,鳥類,哺乳類と進化する過程で,母性もまた進化してきたのだと言うことがここでは言われているのだと思う。それは言ってみれば「単なる生命の引継」から母体と子の分かちがたくかたい結びつき,そして人間的な「愛情」にまで発展してきた進化がすなわち人間の母子の関係なのだということではないかと思われる。
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